研究レビュー 2003年度
(1) 時空間分解ラマン分光による酵母生細胞分裂過程の実時間追跡
酵母細胞は、最も単純な真核細胞であり、細胞分裂を始めとする多様な生物現象を細胞レベルで研究するうえで基本的なモデルとなる。また、生細胞を遺伝子操作によって改変し、様々な機能を付与しようとする細胞工学の観点からも、酵母は重要な役割を果たすと期待されている。酵母の一種である分裂酵母(Schizosaccharomyces pombe)は、G2→M→G1→S→G2のサイクルで細胞分裂を繰り返す。これまでの光学顕微鏡や電子顕微鏡による形態観察によって、細胞周期の各時期において細胞の形やその中に含まれるオルガネラの種類や大きさがどのように変化するかが詳細に調べられている。しかし、細胞周期をin vivoかつ分子レベルで観察した例は皆無であった。我々は、共焦点顕微ラマン分光光度計を用い、細胞周期に従って変化する分裂酵母の生細胞の時空間分解ラマンスペクトルを測定することに成功した。時間分解能は100秒、空間分解能は250 nmである。緑色蛍光蛋白質GFPによって細胞核やミトコンドリアを標識した分裂酵母を試料とした。この試料を用いれば細胞核やミトコンドリアの位置をGFP発光により明確に知ることができる。図1は、分裂周期のM期からG2期に至る、生きた分裂酵母中心部(右側のイメージ中赤丸で囲んだ領域)の時空間分解ラマンスペクトルである。M期の分裂しかかった核のスペクトル(0min)は、蛋白質のバンドから構成されている。それが時間とともに変化し、ミトコンドリア由来のリン脂質の極めて強いバンドを示す中間的スペクトル(11-31min)を経て、S期の多糖類のバンドからなる隔壁のスペクトル(62min)に変化し、最終的にG2期の細胞壁のスペクトル(72min)となった。この研究は、生きた細胞の分裂にともなう生体分子の動的挙動をin vivoで捕らえた初めての研究である。
図1: 分裂酵母生細胞の時空間分解ラマンスペクトル
(2) イオン液体の新奇なナノ局所構造:イオン液体は厳密な意味で液体か?
イオンのみからなり、かつ常温で液体であるイオン液体は、環境調和型の溶媒として、また電位窓の広い電気化学素材として、応用面から強い注目を集めている。しかし、何故常温で液体であるかなど、その物理化学的本質に関する理解は十分に得られていない。我々は、典型的なイオン液体化合物、ハロゲン化1-メチル-3-ブチルイミダゾリウム(bmim X,X=Cl, Br,I)の液体および結晶構造を系統的に調べた。まずbmim Clが結晶多形を示すことを見いだし、2つの結晶形Crystal(1)とCrystal(2)を粉末x線回折とラマン分光によって同定した。つぎに、bmim Cl Crystal(1)およびbmim Brの単結晶を作成して、それらの結晶構造を決定した(図2)。2種の結晶ともイミダゾリウムカチオンが結晶a軸方向に伸びたカラム構造をつくり、4つのカチオンカラムがつくる隙間の空間に2本のアニオンの鎖が収納された特徴的なイオン配置をとっていることがわかった。ラマンスペクトルとその温度変化から、このようなカラム構造が液体中でも部分的に存在することが示唆された。さらにbmim I液体の広角x線散乱の実験から、液体中にアニオンの周期構造が存在することも確認された。これらの結果はイオン液体が従来の液体の概念を超えた新しい構造性流体であることを示している。
1-7) Chem. Lett. 32, 740-741 (2003).
図2. 単結晶のx線構造解析によって明らかとなったbmim Cl Crystal(1)の結晶構造。結晶のa軸方向に伸びるカチオン(緑色)のカラムがつくる空間に、2本のCl-の直鎖が収容されている。