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Hamaguchi Lab.
濵口研究室

― 物質と生命をつなぐ分光物理化学 ―

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ラマン散乱の古典論と量子論

ラマン散乱の理論には初学者にとって難解な部分があり、ラマン分光が赤外分光ほど普及しない一つの要因となっている。以下では、そのエッセンスをできる限り平易に解説することを試みる。まず古典論により振動ラマン散乱の機構を明らかにし、散乱強度を与える表式を導出する。これに基づいて、選択律、偏光則を導く。次に量子論によってKramers-Heisenberg-Dirac(KHD)分散式を導出する道筋を示す。続いてPlaczekの分極率理論によって古典論との対応を示した後、Albrechtの振電理論により共鳴ラマン散乱の強度を定式化する。より厳密な理論については、教科書1)を参照して頂きたい。

振動ラマン散乱の古典論

入射電磁波

振動ラマン散乱散乱の古典論では、入射光を平面電磁波として取り扱い、分子を基準振動によって周期的に変動する分極率を持つ粒子としてモデル化する。散乱光は、空間に固定された分子に誘起された誘起双極子能率から射出される球面電磁波(2次波)として表わされる(図1)。

Fig. 1

図1: 振動ラマン散乱の古典論的取り扱い(90°散乱の場合を例にとってある)

入射平面電磁波の電場ベクトルEiを次のように表わす。

Eq. 1(1)

ここでEiは入射光電場の振幅、eiは偏光ベクトル、ωiは角振動数である。ベクトルeiは3つの成分を持つ。

Eq. 2(2)

ここで、x,y,zはそれぞれ空間固定のデカルト座標である(図1)。

分子の分極率

分子の分極率αは2階の対称テンソルで、6つの独立な成分を持つ。

Eq. 3(3)

ここで、αxyyxyzzyxzzxの関係がある。分極率αは分子の原子核配置の関数であり、基準座標Qkの関数として表わすことができる。ここで、Qkは分子のk番目の基準座標である。分極率の成分αρσQkの冪級数として展開し、1次の項まで残すと次式が得られる。ここでρおよびσは、x、y、zのいずれかを指すものとする。

Eq. 4(4)

ここで、(α0)ρσは原子核の平衡位置における分極率、(∂αρσ/∂Qk)0は核の平衡位置における分極率成分αρσのk番目の基準座標による微係数である。分子は基準座標に沿って角振動数ωkで周期的に運動する。その際の原子核の位置は基準座標によって次のように表わされる。

Eq. 5(5)

式(5)を(4)に代入すると、分極率成分αρσの時間変化を表わす式が得られる。

Eq. 6(6)

ここで、(αk)ρσは周期的に変動する部分の振幅で、次式で与えられる。

Eq. 7(7)

誘起双極子能率

入射光の電場によって分子に誘起される双極子能率μは(1)と(6)の積で与えられる。成分μρで書くと次のようになる。

Eq. 8(8)

即ち、誘起双極子能率には、ω0、ω0k、ω0kの3種の角振動数で振動する3つの成分が含まれる。周期的に変動する双極子能率は、その角振動数と同じ角振動数の電磁波を放射する。したがって、式(8)の誘起双極子能率からは、ω0、ω0k、ω0kの3種の角振動数を持った電磁波が放射される。角振動数ω0の成分がレーリー散乱、ω0kの成分がストークス-ラマン散乱、ω0kの成分がアンチストークス-ラマン散乱である。このようにして、ラマン散乱が発生する機構が古典論的に明らかとなった。

光散乱の強度

分子を原点に置き、誘起双極子能率μから射出される球面散乱波の位置Rにおける電場ベクトルEsを、振幅Esと偏光ベクトルesの積として表わす(図2)。

Eq. 9(9)

ここでesは、Rに垂直な平面へのμの射影と平行である

Fig. 2

図2: 誘起双極子能率と位置Rにおける散乱光の電場ベクトル

Maxwell方程式により、Esμと次のように関係づけられる。

Eq. 10(10)

ここで、ωsは散乱光の角振動数、cは光速度、RRの絶対値である。式(10)の両辺を2乗することにより、入射平面電磁波の強度I0(単位時間に単位面積を通って流れる入射光エネルギー)と、散乱球面電磁波の強度IsR2(単位時間に単位立体角を通って流れる散乱光エネルギー)が関係づけられる。

Eq. 11(11)

これが古典論によって求めた光散乱の強度を表わす表式である。ここで、分極率テンソルαを、散乱テンソルaで置き換えた。レーリー散乱ではa=α0、ラマン散乱ではa=αk/2である。式(11)は、光散乱の強度が、入射光の強度I0に比例し、散乱テンソルaの2乗、散乱光の角振動数ωsの4乗に比例する(いわゆるν4則)ことを示している。

ラマン散乱の選択律、ストークス/アンチストークス強度比

ラマン散乱の選択律は、分極率の成分のどれか1つ(αk)ρσが、ゼロでない値を持つという条件から導かれる。

Eq. 12(12)

即ち、k番目の基準座標Qiに対応する基準振動がラマン散乱に活性であるためには、その基準座標による微係数がゼロでない分極率成分が少なくとも1つ存在しなければならない。言い換えると、原子核の平衡位置において、分極率成分を変化させるような対称性をもつ基準振動がラマン活性となる。導出の過程から明らかなように、ストークスラマン散乱とアンチストークスラマン散乱の選択律は同一である。振動順位間のボルツマン分布を仮定すると、ストークス散乱とアンチストークス散乱の強度比Isanti-Stokes/IsStokesは次のように与えられる。

Eq. 13(13)

ここでhはプランク定数、kはボルツマン定数、Tは絶対温度である。式(13)を用いれば、実測のラマン散乱強度から試料の温度を求めることができる。光子計数法を用いて光強度を光子数として測定する実験では、ωsの4乗に由来する補正項を3乗としなければならないので注意を要する。

光散乱の偏光解消度

図1でy方向に進行し、x方向に偏光した入射光が、z方向へ散乱される場合を考える(90°散乱)。散乱光にはx方向に偏光する平行成分と、y方向に偏光する垂直成分が含まれる。平行成分の強度Iは式(11)に

Eq.

を代入して、次のように求められる。

Eq. 14(14)

同様にして垂直成分の強度Iは次のように計算される。

Eq. 15(15)

垂直成分の強度Iの平行成分の強度Iに対する比を偏光解消度ρと呼ぶ。今考察しているように、分子が空間に固定されている系(例えば単結晶試料)では、偏光解消度ρは散乱テンソル成分の比の2乗を与える。

Eq. 16(16)

溶液、液体など分子の配向がランダムな系では、ρは散乱テンソルの3つの回転不変量、G0(トレース成分)、Gs(対称成分)、Ga(反対称成分)により次のように表わされる。

Eq. 17(17)

ただし、古典論の範囲では、散乱テンソルは対称テンソルであるので、Ga=0となり、ρ のとり得る値は0≦ρ≦0.75に限られる。後に述べる共鳴ラマン散乱では、ラマン散乱テンソルが非対称となり(Ga≠0)、異常偏光解消度(ρ>0.75)が観測されることがある。2)

ラマン散乱の量子論

ラマン散乱の量子論では、角振動数ωi、偏光べクトルeiの入射光子が1個消滅し、角振動数ωs、偏光べクトルesの散乱光子が1個生成すると同時に、分子が始状態|m>から終状態|n>へ遷移する過程の確率を計算する(図3)。

Fig. 3

図3: ラマン散乱の過程

電磁場を量子化した光子の個数状態|ni,ns>で光の状態を表わす。ここで、niは角振動数ωi、偏光べクトルeiを持つ光子の個数、nsは角振動数ωs、偏光べクトルesを持つ光子の個数である。ラマン散乱過程の始状態|i>と終状態|f>は、光の状態と分子の状態の積として次のように表わされる。

  |i>=|ni,ns>|m> (18)
  |f>=|ni-1,ns+1>|n> (19)

光と分子のハミルトニアン

光と相互作用する分子系のハミルトニアンHは、光のハミルトニアンHrad、分子のハミルトニアンHmol、光と分子の相互作用ハミルトニアンHintの和として表わされる。

光のハミルトニアンは、光子の個数状態を固有状態として持ち、以下の固有方程式を満たす。

  Hrad| ni,ns>=(niEi+nsEs) | ni,ns> (20)

ここで、Ei=hωi/2π およびEs=hωs/2πは,それぞれ入射光子および散乱光子のエネルギーである。

分子のハミルトニアンは、次の固有方程式を満たす。

  Hmol|m>= Em|m> (21)
  Hmol|n>= En|n> (22)
  Hmol|e>= Ee|e> (23)

ここで、分子の始状態|m>と終状態|n>に加えて、中間状態|e>を考慮している。後に述べるように|e>は単一の状態ではなく、多くの中間状態の集合を表わすものと考える。Em、En、Eeはそれぞれ|m>、|n>、|e>のエネルギーである。

と分子の相互作用ハミルトニアンは、古典論的には分子の双極子能率Dと光電場Eの積として表わされる。これに対応する量子化した相互作用ハミルトニアンは、次のような形をしている。

  HintDei(âi+âi)+ Des(âs+âs) (24)

ここでâi、âiおよびâs、âsはそれぞれ入射光子および散乱光子の消滅、生成の演算子で、例えば入射光子の個数を以下の式に従って変化させる。

  âi| ni,ns>=(ni)1/2 | ni-1,ns> (25)
  âi| ni,ns>=(ni+1)1/2 | ni+1,ns> (26)

ラマン散乱の中間状態

式(24)の相互作用ハミルトニアンは、光子の個数を1個だけ変化させることができる。2つの光子が関係するラマン散乱は、この相互作用ハミルトニアンを2回使った2次の摂動から導かれる。ラマン散乱の始状態(18)と終状態(19)を結合する中間状態には、2つの種類がある。第1の中間状態|v1>は、入射光子が1個吸収された光の状態|ni-1,ns>と分子の中間状態|e>の積で表わされ、第2の中間状態|v2>は、散乱光子が1個放出された光の状態|ni,ns+1>と|e>の積で表わされる。

  |v1>=|ni-1,ns>|e> (27)
  |v2>=|ni,ns+1>|e> (28)

先に散乱光子が放出される中間状態|v2>の存在は一見不思議に思われるが、分子の中間状態が始状態よりも小さなエネルギーを持つ場合があることに注意すれば、図4のダイアグラムで納得することができる。2種類の中間状態の存在は、ラマン散乱が(吸収と放出の2つの1光子過程からなる)蛍光とは明瞭に区別される2光子過程であることを示している。

Fig. 4

図4: ラマン散乱に含まれる2種類の過程; a) 入射光子が1個吸収された中間状態を経由する過程 b) 散乱光子が1個放出された中間状態を経由する過程. 破線は仮想的な中間状態(後出)を示す

Kramers-Heisenberg-Diracの分散式

光を量子論で扱う場合、光の強度として単位時間に単位面積を通って流れる光子数、すなわち光子フラックスFを用いるのが便利である。光子フラックスと対応する電磁波の強度Iは、次のように関係付けられる。

  I=hωF/2π (29)

ここでhω/2πは光子のエネルギーである。

式(18)から(29)を用い、2次の摂動論を用いてラマン散乱の起こる確率を計算すると、以下の式が得られる。ただし、(18)と(19)でns=0とおき、自発ラマン散乱のみを考えた。

  (30)
  (31)

式(30)は入射光子フラックスと散乱光子フラックスを結びつける式であり、古典論の式(11)に対応する量子論の表式である。式(31)が分子の量子状態によって表わされたラマン散乱テンソル成分の表式で、最初KramersとHeisenberg3)によって半古典論的に導出され、後にDirac4)によって量子論的に導出されたKramers-Heisenberg-Dirac(KHD)の分散式である。

KHDの分散式の物理的意味

KHDの分散式(31)は、分子の始状態|m>、終状態|n>以外のあらゆる中間状態|e>に関する求和を含んでいる。それぞれの中間状態の寄与が位相を持って (絶対値の2乗 | |2をとる前に) 求和されることは、ラマン散乱の過程で分子が中間状態|e>に実際に分布するわけではないことを示している。その意味で中間状態は仮想的(virtual)であると言われる。各中間状態はエネルギー分母に逆比例して散乱テンソル成分に寄与する。エネルギー分母は、光子エネルギーも含めた中間状態と始状態のエネルギー差と、共鳴条件下における発散を避けるために現象論的に導入された緩和項iΓeの和の形になっている。

式(31)の{ }中の第1項は、式(27)の中間状態(図4(a))に対応し、まずσ方向に偏光した入射光子が相互作用<m|Dσ|e>によって1個消滅し、続いてρ方向に偏光した散乱光子が<e|Dρ|n>によって1個生成する過程を表わしている。エネルギー分母は、中間状態と始状態のエネルギー差Ee-Em-Eiと緩和項iΓeからなる。第2項は、式(28)の中間状態(図4(b))に対応し、ρ方向に偏光した散乱光子が<m|Dρ|e>によって1個生成し、続いてσ方向に偏光した散乱光子が<e|Dσ|n>によって1個生成する過程を表わしている。エネルギー分母は、中間状態と始状態のエネルギー差Ee-Em+Es=Ee-En+Eiと緩和項iΓeからなる。ここで、エネルギー保存の式Em+Ei=En+Esを用いた。また、最近のBuckinghamとFischer5)の提案に従い、ダンピング項の符号を第1項ではマイナスに、第2項ではプラスにとってある。

基底電子状態の振動ラマン散乱と電子共鳴条件

KHDの分散式を、我々が最も興味を持つ基底電子状態の振動ラマン散乱に適用する。そのために、分子の始状態、終状態、中間状態を電子状態と振動状態の積として表わす(断熱近似)。

  |m>=|g]|i) (32)
  |n>=|g]|f) (33)
  |e>=|e]|v) (34)

ここで| ]および| )は、それぞれ電子状態と振動状態を表わす状態ベクトルで、|g]は基底電子状態、|e]は励起電子状態を、|i)、 |f)、 |v)はそれぞれ振動の始、終、中間状態を示す(図5(a))。煩雑さを避けるために、基底電子状態は縮重していないものとする。

Fig.5

図5: 基底電子状態の振動ラマン散乱の振動ラマン散乱のダイアグラム; (a)非共鳴、(b)前期共鳴、(c)真正共鳴。中間状態としての寄与が大きい|e]|v)を濃い実線で示してある。

基底電子状態|g]の振動ラマン散乱では、中間電子状態|e]は|g]より大きなエネルギーを持ち、図4(a)の過程が主要な寄与を示す。中間状態|e]|v)と始状態|g]|i)とのエネルギー差Eev-Egiと、励起光のエネルギーEiの相対的な大きさによって、励起条件を非共鳴、前期共鳴、真正共鳴の3つのカテゴリーに分類する(図5)。非共鳴では、Eev-Egiが Eiに比べて圧倒的に大きく、エネルギー分母のEev-Egi-Eiの項は、多くの中間状態に対して同程度の大きさとなる。その結果、これらの|e]|v)がすべて中間状態として寄与する(図5(a))。前期共鳴では、EiがEev-Egiに近づき、エネルギーが最も低い中間電子状態に属する振電状態が大きな寄与を持つ(図5(b))。真正共鳴では、EiがEev-Egiにほぼ等しくなり、特定の振電状態のみがラマン散乱に寄与する(図5(c))。式(32)から(34)を(31)に代入すると、断熱近似の下での基底電子状態における振動ラマン散乱テンソルの表式が得られる。

Eq. 35(35)

非共鳴振動ラマン散乱 (Placzekの分極率理論)

非共鳴条件下ではEev-Egi>>Ei> であり、Eev-Egi-Eiが振動エネルギーに比べて十分に大きいので、Eev-Egi-Ei~Ee-Eg-Eiが良い近似で成立する。ここで、EeとEgはそれぞれ|e]と|g]の電子エネルギーである。またEev-Egi-EiはiΓeに比べても十分に大きいので、iΓeを無視する。そうすると、式(35)のvについての求和は培v><v|となり、これは|v>の完全性から1に等しい。結果として中間電子状態|e]に属する振動準位|v>の寄与が丸め込まれ、式(35)は次のようになる。

Eq. 36(36)
Eq. 37(37)

ここで(37)は、分子の分極率の量子論的表式である。式(36)は、非共鳴条件下で、振動ラマン散乱テンソル成分aρσが、分極率テンソル成分αρσの振動行列要素(i|αρσ|f)によって近似的に与えられることを示している(Placzekの分極率理論)。

振動状態|i)および|f)は、良い近似で調和振動子の固有状態の積π|vki)およびπ|vkf)で表わされる。ここで、vkiおよびvkfは、始状態と終状態におけるk番目の振動モードの量子数である。調和振動子の固有状態の性質から、次の関係が得られる。

Eq. 39(39)

式(37)で与えられる分極率は、基準座標Qiの関数であるので、古典論の場合と同様に、式(4)のようなQiの冪級数に展開することができる。この展開式と(39)の関係から、分極率理論の枠組みの中での振動ラマン散乱の選択律が得られる。

Eq. 12(12)
  Δv=vkf-vki=±1 (40)

分極率成分の対称性に関する選択律(12)は、古典論的に導出されたものと同一であり、量子論ではそれに振動量子数に関する選択律(40)が付け加わる。式(40)の右辺の+符号はストークス散乱、-符号はアンチ-ストークス散乱に対応する。通常観測される振動基底状態からのストークスラマン散乱では、vki=0、vkf =1である。

共鳴振動ラマン散乱(Albrechtの振電理論)

前期共鳴や真正共鳴の条件下では、中間状態の振電的性質を露に考慮する必要がある。そのために、分子のハミルトニアンHmolを電子座標のみを含むHmole、原子核座標のみを含むHmolv および電子と原子核の座標を同時に含むHmolevに分解して表わす。

  Hmol=Hmole+ Hmolv +Hmolev (41)

ここで、Hmoleをゼロ次の電子ハミルトニアン、Hmolv をゼロ次の振動ハミルトニアンとし、Hmolevを1次の摂動として取り扱う。ゼロ次の電子固有状態として基底電子状態|g0]と励起電子状態|e0]および|s0]を考える。これらはそれぞれエネルギーEg0、 Ee0、Es0を持ち、次の固有方程式を満たす。

  Hmole|g0]= Eg0|g0] (42)
  Hmole|e0]= Ee0|e0] (43)
  Hmole|s0]= Es0|s0] (44)

また、振動の始状態|i)、中間状態|v)、終状態|f)は、それぞれEi0、Ev0、Ef0のエネルギーを持ち、次の固有方程式を満たす。

  Hmolv|i)= Ei0|i) (45)
  Hmolv|v)= Ev0|v) (46)
  Hmolv|f)= Ef0|f) (47)

式(41)のHmolevを摂動として扱うと、|s0]との振電子相互作用の効果を1次まで考慮した中間電子状態|e]の表式が得られる(Herzberg-Teller展開)。

Eq. 48(48)

始および終電子状態として|g0]、中間電子状態として|e]をとり、式(35)に代入すると、断熱近似で振電相互作用を1次まで取り入れた基底状態の振動ラマン散乱テンソルが求まる。ただし、共鳴によって増大する(35)の第1項(共鳴項)のみを考慮した。

Eq. 49(49)
Eq. 50(50)
Eq. 51(51)

式(50)および(51)は、それぞれAlbrechtのA項(Franck-Condon項)およびB項(振電相互作用項)と呼ばれる。6)

A項には、基底電子状態gから1光子許容な励起電子状態eのみが関与する (図6 (a))。ラマン散乱強度はFranck-Condon因子(i|v)(v|f)によって決まる。基底電子状態gと励起電子状態eの平衡原子核配置のずれΔが大きくなると、(i|v)および(v|f)がさまざまな組み合わせに対して大きな値を持つことができ、A項由来の共鳴ラマン散乱が強く観測される。電子励起によって分子の対称が大きく低下する例外的な場合を除いて、大きなΔを持つことができる振動は、全対称振動(分子の対称を低下させない振動)に限られる。したがって、A項由来の共鳴ラマン散乱では、全対称振動とその高次倍音(Δv>>1)のバンドが強く観測されることが多い。

B項には、互いに振電相互作用していて、かつともにgから1光子許容な2つの励起電子状態eとsが関与する (図6 (b))。励起光の光子エネルギーがgからeへの遷移エネルギーに近づくと、振電相互作用によりeにsを混入させている振動 (Eq_を満たす振動) のバンドの強度が増大する。B項由来の共鳴ラマン散乱では、Δ=0の非全対称振動も活性となる。また式(51)の振動行列要素、(i|Qk|v)(v|f)および(i|v)(v|Qk|f)からわかるように、高次の倍音は出現せず、Δv=1の選択律が成立する。

以上のように、共鳴ラマン散乱では、非共鳴の場合と異なる選択律が成立する。また、縮重した基底電子状態のA項由来の共鳴ラマン散乱や、B項由来の共鳴ラマン散乱では、ラマン散乱テンソルが非対称となり、偏光解消度の異常が見られることがある。

Fig. 6

図6: 振動共鳴ラマン散乱の素過程; (a) A項(vki=0,vkv=1,vkf=2, (b) B項 (vki=0,vkv=0,vkf=1)。破線は振電相互作用を表わす。

参考文献

  1. 濵口宏夫、平川暁子編、ラマン分光法、学会出版センター、1988.
  2. H. Hamaguchi, Advances in Infrared and Raman Spectroscopy, R. J. H. Clark and R. E. Hester Eds., Wiley, Vol. 12, Capter 6.
  3. H. A. Kramers and W. Heisenberg, Z. Phys. 31, 681 (1925).
  4. P. A. M. Dirac, Proc. Roy. Soc. (London), A114, 710 (1927).
  5. A. D. Buckingham and P. Fischer, Phys. Rev. 61(3),5801(2000).

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